SNSで自分のことを発信する人はすごい

小学生の頃からチャットとか、前略プロフとか、ブログとかSNSもいろいろ変化してきたけど自分は専らそれを使って自分の発言を発信するより、傍観するほうにいつもいた気がする。投稿したとしても友達とどこかに行ってどう思ったという発言より、今のツイッターに近い内容。本当に中身は何もないんだけど、それがきっと自分が言いたいことなんだろうなって。

だからこういう長文で自分に起こった出来事を自分がどう感じたとか、今日どこどこいって楽しかったっていう自分の身の回りに起きたことを自分の言葉で伝えることができる人や自分の考えとか主張を文字を使って発信する人って本当に勇気があるなって近々思う。マイナスな意味でそれを否定されたり、誰も見てくれなかったりしてもその発言って意味があるの?

みんなきっと強いメンタルをもってやっているんだなって思うと、自分には到底できない。

楽しみにしていた卒業旅行も「ぼくがその月お金がないから」という理由で流れてしまった。いつぞやの自己啓発じみた本の中に、「お金がないから悪なのではなく、お金が必要としているときに、お金がないのが悪なのである。」みたいな内容がそのとき脳裏をよぎった。肝心なときに何かが足りなかったり、慌ただしい性格がふと出てしまうのは生まれつきなのか。

 

何か自分がやりたいと思ったら最後のvisionを強く持っていたらそこにたどり着けそう。きっとそううまくいかないのだろうけど、そこに勝算とか人の目とか気にしないこと。

結局内定ももらえずに大学4年間を終えてしまう。

 

高校時代は田舎の進学校だったこともあり、勉強勉強いわれていた。

もちろん、勉強なんてしていなかったがただそこにいるということでわけのわからない優越感に浸ってしまった。

世間知らずのままに3年間を終えてしまって、進路もどっちつかずのままの挙句の果てに浪人という選択がちらついていた。そもそもなぜ自分が大学に行くのか唖然としていた。本当になんとなくというか、大卒の資格をとるという目的のために学問という手段があるようなものであった。

なんでそこで受け身になってもうちょっと自分でいろいろと探さなかったのか。

 

大学に入ってアルバイトをした。自分が知らないような世界がそこにはいろいろあった。30過ぎてフリーターをしていたり、自分よりしっかりしている人が同じフリーターであったり。謎の優越感に浸っていた高校時代とは違っていて、自由奔放に世間一般で言われているThe 高校生をしている女の子もいてすごいびっくりした。

 

いろいろな反動があって、大学デビューして、すごい変わったなんて話をよく聞くけど、自分はばねが完全に縮まりすぎて反動形成なんて全く起きなかった。

なんであの時にもっと自分がやりたい!とかこうしたいとか素直にできなくて、ずっと型にいい子にはまっていたのだろうか。

しゅーかつ

あなたの「目標」や「夢」を教えてください。

毎度ながらに頭を抱える問題だ。この23年間、そんなきらびやかなことを考えていたのなら、まずこの時期に就活なんざしてないだろう。

そもそも生きることで精いっぱいの自分にとっての将来の目標なんていったら

その日その日をくいっぱぐれなくなんとか生活していったら万々歳なほうだと思う。

同じような事をテレビでマツコデラックスがしゃべっていたのを思い出した。

この世の中に、このご時世に、自分の将来像を描いてる人なんてそもそもいるのかな?

もちろん就活だから表面所を装ってありもしないことを書いたらそれで正解なのだが、

毎回こういうよくわからないところでつまづいてしまう。

 

 

自分の「好き」なものと「嫌い」なものをそれぞれ挙げてくださいという質問が次に来た。これも適当に書いたが、どちらも2つも書かなければならなくて余計めんどくさかった。せいぜい生きるのに必死なので好きとか嫌いとかそんな贅沢を言っているような暇は自分の人生にはそうそうなく。そもそも凡人がこの欄にかけるほど好きな物嫌いなものってそんなにでてくるようなものだろうか。

 

面接が終わって後味悪く電車に乗って帰っているとき、都合悪くこの時期就活している姿を一番嫌っているひとにたまたま見られてしまった。相手は今頃みっともない自分をみてほくそえんでるに違いないだろうなと心の中で偏屈になってしまった。

今更どう思われようがなんのこっちゃ思わなかったけど、どうしてこうタイミング悪く一番嫌な姿を一番嫌いな人にみられるのだろうか。

十両のなかのたった1つの、しかも同じ時間帯に乗り合わせることなどきっと自分が内定をもらうよりよっぽど難しい。

もし、自分の将来の夢とか目標とかあるのならば自分のみっともない姿を嫌いな奴にみられないようにしようって思った。

 

なんだかよくわかない導火線に火が着いてしまって、おれのこの土地での大学生活が丸々全部いやになってしまった。自分がこの4年間で好きな物と分かったのは、惰性と怠惰と睡眠。いい加減引っ越したい。

今日はゼミだった。卒論提出して一安心と思っていたら、ポスターも来週まで~・・・

といわれはあ。。。

発表しないんだからいいじゃんかめんどくさいな~って思ってた。

そして今日、出来上がったポスターを一人ひとり教授のところに添削してもらいにいったんだけど学籍番号が遅いからすごい待った。

待ってる時間の会話が嫌でも耳に入ってきて

「いつ引っ越しするの?」とか「どこ就職するの」とか今の自分のメンタル的に聞くに堪えない会話の内容だったけど、なによりも自分がそこの会話に混ざれなくて一人孤独になっていたのが一番つらかった。

そんな他愛のない会話どうもいいよって思う人もいるだろうけど、自分はそれが出来ない専らに出来ない性質でいい加減早く終わってほしいっていう気持ちでいっぱいだった。

あれほどしりじりとやった卒論も今となってはやる気なんて全くなくて、ポスター添削の時も「卒論で何したかよくわからない」と言われ、ああ、そんなの自分でもわかってるよって心の中でずっと思ってた。

 

会話のなかに混じれない話になると、高校時代を思い出す。

高校受験に失敗して後引きづっていたら、いつの間にか最初の友達作りに失敗して気づいたら自分一人だけになって、休み時間ないし、授業中でもみんなが楽しそうになんともない会話をしているのがすごい楽しそうだった。自分も混ざりたかったけど、どうでもいい話をするほど余裕に生活してなかったし、そんなこんなでずっと音楽を聞いてなんも耳に聞こえないように外界とシャットアウトしていた。

 

今日はそんな自分にとって、いい思い出じゃなかったかさぶたを無理に引きはがしてしまったみたいな。ことを思い出させてしまった。帰り際、そのことを思ってここにいた4年間を現実だなんて思いたくなかったけどいつも見慣れている駅からの帰り道は、こんなもんじゃなかったって、こうじゃなかったってずっと思いながら何一つ変わってない自分にもがっかりした。

 

なんでもっと自分に正直に、必死になって生きていけないのかすごい情けなくなった。

自分本当成長してないんだな。

自分が何でもできるなんておごり高ぶっているから否定的なものから入ってしまう。

自分に自信がもてなくてもいいから、自分の生き方には自信をもっていられるようにしたいなー

 

就活が決まらなくてもなんか別生きてればいいやって感じで

 自分の4年間を振り返ってみると、そもそもの始まりがただ大学が人生の受け皿に過ぎなかったことに気づいた。特に何も考えずに浪人して、そのまま本当に何も考えずに進学してしまった。

就活、卒論と今となっては自分でもがっかりするような不出来なものだったら最初からもっと遊べばよかった、変に真面目ぶらなくてもっと自分がやりたかった、くだらないこととかしたらよかったなってすごい今になって後悔した。

 

 自分がやりたいこに正直になるってすごい勇気がいることだなって思ったし、だれかの期待に添えて動くことって自分が死んでいるのと当然だなと気づいた。

もちろん、進学することが悪いとは思ってないし、悪いことばっかりじゃなかった。

前にぼくと同じような(?)ことを思って、書いていたブログをみたけど、

そこでなんでもっと今っていう時間を楽しめなかったのだろうとかいてあって

ああ、まさしくこの人と同じだなーっていつになっても自分ってこうなんだろうなーってすごいがっかりした。

 

 それと、大学時代に分かったことは大人になるって覚悟が必要なんだと思う。

そのために寝る間も惜しまないで黙々とやれるみたいな。

 

自分の人生なんなんだろうなあ・・・